テクスト理論の愉しみ ロラン・バルト著作集6

みすず書房 野村正人訳(200606)5250円◆8/19(水)@八重洲ブックセンター

(1)個人的な仕返しというのは、あまり好みではない。それはわたしがエクリチュールに対して持っている考えに反するし、そこにはどうしてもさもしさが付きまとうだけでなく、最初の見せ場が終わってしまえば、退屈さが残るだけだと思うからだ。(p.29)

(2)形式化、すなわち人文諸科学のディスクールアルゴリズムや数学的な定式化の保証のもとに起きたい、という願望は非常に一般的な傾向ですが、それは(……)正しくないと思います。言語体系はその語彙によって存在しなくてはならない。つまり、ある種の不純さ、語彙というものが表している多義性、統治法のなかに語彙を導入することが表している多義性によって、存在しなくてはならないのです。(p.29)

  • バルトの新しい翻訳を久しぶりに読む。とりあえずフラグメントを、f事件(拙ブログ「ロワジール館別館」への唐突なフェミニズム・バッシングhttp://kaorusz.exblog.jp/d2006-08-01およびhttp://kaorusz.exblog.jp/d2006-08-04への「ヒステリック」なコメントを参照されたい)の検証のための引用として置いておく。(8/22)
  • (2)について。『知の欺瞞』(上記コメントで知ったかぶりに援用され、あまっさえ私はこれを読むべしと言われている。けっして悪い本ではない)で批判されている、理系用語(定式)の濫用がダメな理由はこっちが本質的。(8/22)