世界をよくする現代思想入門 高田 明典

  • 「冒頭」、「現代思想」に「出てくる」「難解」な「用語」を「三角形」という「言葉」に「たとえて」いる「ところ」で、もう「ダメ」なんじゃない「か」と思っ「た」。「理由」は二つある。一つには、「サンカク」という「言葉」は「子供でも知っている日常語」であって、けっして「難解用語」なんかではないこと、「二つ目」には、それが、「おむすび」とか、「二つ切りのはんぺん」とか、「経木に包んだ納豆」とかを超えた「三角形」として「了解」されるときには、たん「に話が」「簡単」になるとか「そんな」「レヴェル」で「はあり」えない「抽象化」が起こ「ってい」るからで、そのことにひっかからずに易々と「話」を「進めること」ができてしまう「著者の頭」はかなり「粗雑ではないか」という「疑い」を抱かされる。こうした展開に「ついてゆく」には、「著者なみ」の精神の粗雑さが「要求」されよう。いや、たとえ「実体」としての著者の「アタマ」は「粗雑」でなくとも、「書き方の凡庸さ」には読んでいて「身体」が痒くなる(たんなる「比喩」である)。過去の著作に『知った気でいるあなたのための構造主義方法論入門』なる書名があるのを見たときは、やっぱりダメかとダメ押しで思った。「頭脳明晰」で「博学」なmuchoさんから、あれは「ダメだ」と「教わった」ことのある本だったからだ。にもかか「わら」ず、明晰からほど遠い「私」は、「弱さから」(ヴァレリーが、あなたはなぜ書くのかという「問い」に与えた「答」)、つい「資料」にと買ってしまった。
  • やさしい言葉でどうでもいいことをぐだぐだ「述べて」いるこうした「本」を眺めると、「難解」なこと「を難解に語」るのがよくないといった主張がただのステレオタイプに過ぎないことが「実感」される。それでもまだ利用価値はあると思われるので、もう少しメモを残す予定。(問題は、「現代思想」自体、この本程度の利用法しか想定できないものと、著者によって見くびられている点だ。)

筑摩書房(200601)819円◆6/13(火)@TSUTAYA MACHIYA