旨いものはうまい 吉田健一

  • 今、データを書くのに、出版元だの文庫名だのにはじめて気づいてぎよつとする。うーん、こんなもの(文庫)に入れられてゐたのか。「本書は文庫オリジナルです」といふ断り書きは、要するにあちこちから抜き出して寄せ集めの一冊を作つたといふことだ。タイトルもたぶん、著者がつけたものではあるまい。とはいへ、上手いものは上手い! 子供の頃、読売新聞に「私の食物誌」が連載されてゐて、独特の文章と内容とを舐めるやうに読んだものだが、後年、父と何かの拍子でその話になつたとき、「旨いという字が難しい」アレだらう、と父の記憶にも残つてゐた。

 今から思ふと、食べもののことや酒を飲む話を書き始めたのは、かういふものを書いてゐれば誰からも尊敬されたりする心配はないし(……)人類を愛し、国聯に関心を持つなどといふ風なことを並べれば、直ぐに人類を愛して国聯に関心を持つ人間に祭り上げられさうで、こつちのほうでもそれだけの覚悟をして掛らなければならないが、フランネルを十日ばかり酢に着けて置いて、胡麻の油で揚げたのは実に旨い、あれを一反か二反、食べたいものだといふ種類のことは、こつちが言ひたいことを言つて原稿料を稼ぐだけですむと計算したのだつた。(p.45)

 ところが案に相違してグルメといふものに(当時はこの言葉は知られてゐない訳だが)祭り上げられかねないことを吉田はぼやいてゐる。それを思へば尚更この文庫名はちよつとね。
角川春樹事務所 グルメ文庫(200410)円◆8/10(金)@銀座教文館