ノヴァーリス作品集2 青い花

隠者はみんなに自分の蔵書を見せてくれた。古い史書や詩集だった。(……)最後に一冊の本を手にとると、それは、ラテン語やイタリア語にいくらか似ているような外国語で書かれていた。この言葉が知りたいと、心から願わずにはいられなかった。というのも、ただの一語も理解できなかったけれども、ことのほかこの本が気にいったからだった。表題はなかったが、探してみるといくつか挿絵が見つかった。その絵は、不思議に見覚えがあるような気がした。よくよく見ると、いろいろな人物のあいだに自分自身の姿がかなりはっきりと認められた。愕然として、夢を見ているのではないかと思ったが、くり返し見てみると、完璧に似ていることを疑う余地はもはやなかった。やがて一枚の絵に、洞窟や、隠者と老人が自分のそばにいるのを発見したときには、自分の感覚がほとんど信じられなくなった。そのうち他の絵にも、あの東洋の女や、両親、チューリンゲン方伯と方伯夫人、友人の宮廷牧師、その他たくさんの知人たちがみつかった。だが、その服装はちがっており、別の時代のもののようだった。多くの人物は、名前はわからなかったが、見覚えがあるような気がした。さまざまな境遇におかれた自分自身の似姿が見られたが、終いのほうでは、それまでより大きく、気高い姿となっているように思えた。(……)最後の何枚かの絵は、ぼんやりしていて見分けがつきにくかったが、自分がみた夢のなかの人物をいくつか認めて驚き、心底うっとりした。本の結末は欠けているようだった。ハインリヒはひどく気にかかり、なんとしてもこの本が読みたい、完全な形で手に入れたいと、切に願った。(pp.146-148)

  • 私はこういう記述があることを承知しながらこの本を開いたが、もし前もって知らなかったら、「自分の感覚がほとんど信じられなく」なったろう。  (9/14)
  • 本の結末は「欠けているようだった」と書くことのなんという狡知。だが、これは通常のことなのかもしれなくて、かつて夢のなかで沈みかけ、解体しようとして軋む木の船の船底で黒い水の胎内から吐き出されたのを私が拾い上げた本も、やはり結末を欠いていた(だが、その夢自体、ノヴァーリス未完の青い花』がそのような結構を持つことを、(ジャン・リカルドゥーの本で)読んだ日付よりあとに見たものかもしれないのだ。)(9/14)

*今泉文子訳 筑摩書房(200605)1365円◆9/13(水)@リブロ池袋店