表象の奈落-フィクションと思考の動体視力 蓮實重彦

  • あ〜《怪物》ハスミは健在だ。かつて〈漱石〉に横たわる人ばかりを見、〈大江〉に数字ばかりを見たあの「フィクション力」を、今度は〈批評〉に対して、しかも自己再帰的な〈フィクション論〉として発揮しようとしている。(12/19)
  • 以上の記述は、収録論文のうち「『赤』の誘惑をめぐって」についてのもの。そのひとつ前の「エンマ・ボヴァリーとリチャード・ニクソン」も非常に示唆的で面白い。「文章を読むという純粋体験」と称して、「文章体験」とは「紙の本というメディアの詳細」ではなく、脳の中に残るクオリア、「そのようなピュアな感覚」だと言う茂木健一郎http://www.timebooktown.jp/Service/clubs/00000000/f04/f04_01_03.aspは、結局のところ、「『他者』の言葉と距離なしに接しあうという遭遇体験にほかなら」ない「言語的なテクストを読む行為」(本書279ページ)とは自らが徹底的に無縁であることを告白しているのだ。(念のため言っておくと、これは紙媒体か電子媒体かという議論とは別の話である。)(12/28)

青土社 (200611)2520円◆12/6(水)@銀座 教文館